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白血病CML発覚から6年、急性転化から移植無しで3年が過ぎました。「ashブログ」で検索。

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白血病の闘病歴 年末年始入院(T315IとY253H)

白血病の病歴 年末年始入院(T315IとY253H)


ashの病気は、慢性骨髄性白血病(Chronic myelogenous leukemia, CML)。2007年3月か4月にそう診断された。グリベックで抑えたが、約三年後の2010年02月、急性転化期(Blast Crisis, BC)した。急性期(Blast Phase, BP) とも言う。リンパ芽球性の急性転化だった。CMLの最後の病期(末期)で、さらに骨髄芽球性より難治性だ。ここまでくると予後が極めて悪いらしい。当時ネットでググったら余命3~6ヶ月とあった。



でも、第二世代チロシンキナーゼ阻害薬 スプリセルが効いてくれ退院。副作用はグリベックよりずっと軽かった。野山や海を満喫した。ニャンズともいっぱい遊んだ。しばし平和な慢性期状態が続いた。


同じ時期にお袋も癌を患い、別の病院で化学療法を受けていた。


一ヶ月半でスプリセルは効かなくなった。お袋はまだ入院中。猫たちを残し6月に再び入院した。家には5ニャンズしか居なかったから、とても心配した。叔母や叔父ちゃんや知人がニャンズの面倒を見ていてくれて猫たちは元気だった。

超強力なレジメンの化学療法を受け、血液学的寛解へ持ち込めた。BPからの骨髄移植は7割の人が短期間で亡くなる。それでも移植を目指したが、二回目の化学療法で侵襲性の肺アスペルギルス症が発症。これを持ったまま骨髄移植するのは自殺するに等しい。前処置後アスペルギルスが再発する可能性が大きいからだ。肺を切除する話も出たが、そんなのイヤに決まってる。肺アスペルギルス症のみの点滴治療が数ヶ月続いた。抗真菌薬はどれも効かなかった。2010年11月、自主的退院をする。都内の移植実績が多い二つの病院でセカンドオピニオンを受けたが、新しい意見は聞けなかった。


その後は一年ほど、酒・タバコ・大食いしながら元気に過ごした。短い間だったけれど彼女もできた。デートとかした。ケンカもたくさんした。やがて、肺アスペルギルス症の影もレントゲンでは確認できなくなった。2011年04月、末梢血にほんの少し白血病細胞が出てきた。急性転化時点での点変異はF317L。念のためもう一つの第二世代薬タシグナを出してもらった。コチラの方がF317Lには有効だからだ。その後も健常者をイメージして暮らした。車や新幹線であちこち行ったり、トレーニングしたり、ボランティアしたり。そのころは、お袋も退院してきていた。


自主的退院から約一年後の2011年末、すべての感覚器がおかしくなった。ふらつく。見えづらい。聞こえづらい。入院してCTやMRIに採血、amp-cml、全身検査しても悪いところが見つからない。これ以上治療法が無いと言われた。薬の処方をストップしてもらい、治療法がないなら入院している意味がない。死をも覚悟で一週間で自主退院してきた。何かあったら看取ってくれる地元の病院を主治医から紹介してもらった。


自主退院から数日間、体はどんどんいうことをきかなくなっていった。階段も部屋でも四つんばいで移動してた。そして、ある朝ashの両足は完全に麻痺した。倒れて立ち上がれなくなった。顔の半分も麻痺。耳は聞こえず。目もほとんど見えない。必死でケータイストラップをたぐり寄せ、お袋に電話して救急車を呼ぶよう叫んだ。お袋の声は聞こえなかった。救急車で久慈病院へ運ばれた。


寝返りも打てず、毛布も直せない。車椅子へも1人では乗り移れない。お袋とは筆談で話した。全身検査をした。原因は突き止められなかった。約一ヶ月間緩和ケア、それだけだった。神経内科の先生は「運動神経がやられているからもう歩けないだろう」と言っていた。 ・・・ 寝たきりでいる人、目が見えない人、耳が聞こえない人、車椅子での生活を強いられている人、喋れない人、、短い間だったけれどそんな障害を持つ人々の歯がゆい気持ちが分かった気がした。死も感じた。


主治医になってくれた先生に前向きに検査して原因を見つけて欲しいと頼んだ。先生の専門は外科だった。久慈病院に血液内科医は居ない。月一かな。たまに八戸からashの主治医達が応援にくるくらいだ。久慈病院の先生は髄膜癌腫症ではないかと予想を立てた。無治療では余命数週間だと言われた。正確には聞こえなかった。先生がそう書いて教えてくれた。


八戸の主治医達と久慈の先生達が相談した結果、もう一度八戸で検査をしてみてはどうだろうということになった。随圧が高かいことが予想されたため、脳ヘルニアがおきて即死する可能性もあったが、あのままでいるのは辛かったので受けた。ルンバール、脊髄液の検査だ。骨髄のマルクと違って、背骨の間から脊髄液を抜く。通常透明な脊髄液は濁っていて、ここでもブラストクライシスが起こっていた。ashの白血病細胞は、血液脳関門(血液髄液関門)を、すり抜け中枢神経系へ浸潤していた。しばらくはそのことに気づかなかった。そんなの考えもつかなかった。別の病気だと思ってた。


それから、脊髄への抗癌剤投与がはじまった。週一で11週ルンバールと髄注をした。一週ごとに体は回復した。リハビリも受け他の症状もだんだん軽くなっていった。1人で車椅子にのれ、トイレも行け、伝い歩きもできるようになり。最後には歩けるようになった。さっそく喫煙所へ通った。たくさん歩いた。その後7週間くらい全脳全脊髄への放射線治療も受け、2012年8月14日退院した。


まだ左耳は聞こえないし、左目の視力が欠けているが、オレは水の底の様な暗闇から復活した。と思っていた。でも、前に退院した時よりアクティブには暮らせなかった。副作用で怠くてゴロゴロしていた。退院から二十日後、血小板が激減し骨髄球ってのが末梢血に出てきた。その日したマルクで、また骨髄内で急性転化が起こっていたことがわかった。脊髄(脳と神経があるところ)ではなく、骨髄(骨の中の血の工場)。昨年のBCR/ABL変異解析ではF317Lが消えていたので2012年9月5日からスプリセルを再開した。9月10月とスプリセルが効いているように思えた。主治医が変わった。前のM先生は盛岡へ戻り、かわりにT先生が来てた。


貧血が酷くなっていった。血小板も増えないまま白血球数は増えていった。白血球が増えて免疫力が上がった?真逆です。まともな免疫細胞が減り、白血病細胞(つまりガン細胞)が増えている兆候だ。微熱が続いていたが、ついに38℃以上の熱が出て下がらなくなった。体中の筋肉の痛みも増した。急患で病院へ行った2012/11/29 。血小板がハンパなく減少(2.5)、ハッキリ芽球が出現(42.0)。


12/7に再入院した。初日からマルク。ドライタップ状態で骨髄液が抜けて来ない。5回も刺された。未だに痛い。週末は、太ももの付け根へCVを入れ、24時間ヘパリン、抗生物質の点滴、血小板と赤血球の点滴。そして2012/12/12 から化学療法もはじまった。


毎日のように夕方以降熱が出た。点滴で浮腫んだ。利尿剤でオシッコがたくさん出た。点滴を引っ張ってトイレに行った。2012/12/15前日から無菌室へ。抗がん剤が終ってからが苦しい。2012/12/18 17日から白血球数はゼロになり28日までゼロは続いた。その間に肺炎にかかった。ちょうど年末年始が辛かったが正月明けにはどんどん回復した。


またゼロから這い上がれた。退院できた。


が、退院の日2013/01/18 の家族説明で伝えられた、化学療法を受ける前にオーダーしたBCR/ABL変異解析で、2つの点変異が見つかっていたそうです。Y253HとT315I。今は寛解状態だが、T315Iが暴れ出すとやっかいだ。日本で慢性骨髄性白血病治療用に認可されている分子標的薬(チロシンキキナーゼ阻害薬)は、グリベック、タシグナ、スプリセルの3つ。どれもT315Iには効かないからだ。その再燃頻度が高ければ化学療法を繰り返すことになる。体がボロボロになるかもしれない。白血病細胞が抗がん剤に対して耐性をもったらゲームオーバーだ。 ・・・ そして、脊髄の方も再燃する可能性がある。多くは6ヶ月後だという。


だが希望はある。ashが入院している間、ponatInIbという新薬がCMLとフィラデルフィア染色体陽性ALL対象に米国で承認されたのである。ポナチニブはT315Iにも効果が出ているらしい。日本で承認されるまで頑張るぞ。経口薬があれば、脊髄系が再燃しても対処できそうだ。


オレはまだまだ生きるぞ。


近年目を見張る遺伝子解析、老化と若さの仕組みの解明、病気の解明、食べ物や自然の物が持っている成分の研究、宇宙の力、iPS細胞による再生医療。あちこちでパラダイムシフトが起こっている。今までの常識が覆されている。人々の健康がよい状態で保てれば人々の精神も成長する。オレが500歳まで生きると言っているのは、あながち空想ではない。


※もう朝の6時だ。誤字脱字はあとでチェックします。




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thame:医療・病気・治療 genre:心と身体
闘病歴 中枢神経系浸潤編 CML慢性骨髄性白血病BC後のCNS病変

白血病の病歴(中枢神経系浸潤)


慢性骨髄性白血病(Chronic myelogenous leukemia, CML)急性転化期(Blast Crisis, BC)。 とも言う。CMLの最後の病期(末期)。 ここまでくると予後が極めて悪いらしい。さらにashの白血病細胞は中枢神経系へ浸潤する。




2012/03/19 市内の病院へ入院。バ(お袋)は今度こそashが死ぬと思ったらしい。
いきなり倒れる。足がまったく動かない。久慈病院へ救急車で運ばれる。目も耳もやられてる。一ヶ月くらいいろいろ検査を受けたが原因を特定できず。入院中、介護保険で要介護4の認定を受ける。
2012/03/29
下半身が動かないのは運動神経(末端神経)の障害だ言われる。もう歩けないのか?腕の力だけで無理な体勢で寝返りをうつからか痛みが。ハイペンやロキソニンといった鎮痛剤でしのぐ。
2012/03/30
点滴グリセレブ。頭蓋圧を下げることが期待されるが、変わらない。
2012/04/03
担当医から緩和ケアをすすめられる。
2011/04/09
久慈の先生の診断。髄膜癌腫症(癌性髄膜炎)でしょうということでした。一般的なガンの場合、無治療なら余命は一カ月程度。。
2012/04/12
八戸の病院へ転院。脳ヘルニアを起こす危険があったが脊髄液の検査(ルンバール)を受ける。白血病細胞が確認された。中枢神経系(脳、脊髄、髄液など)での急性転化だ。中枢神経系はBBB(血液脳関門)などがあるため、通常の静脈点滴や経口薬では薬剤が患部へ届きにくい。背骨に直接注射する脊髄への抗がん剤(髄注)もはじまる。
2012/04/14
リハビリも治療と平行して開始。
2012/04/17
1人で車いすに乗れた。数日後つかまり立ちができるようになる。そのまた数日後1人でトイレができるようになる。数日後、伝い歩きをする。
2012/04/24
少し耳(右だけ)の聞こえが良くなってくる。数日後はなんとかケータイ通話できるようになる。11週間ルンバールと髄注。髄注は水曜、決まって週末熱がでた。採血データはフツウの人。
2012/05/07
松葉杖で歩けるようになった。数日後、外泊許可が出た。以降、毎週末外泊が許可された。一週間ぐらいで松葉杖無しで歩く。
2012/05/17
タシグナ再開。骨髄の状態はずっと良かったので、先生たちの意見が「効いてない」から「効いている」に変わった。前年の暮れからamp-cmlが高値を示したのは中枢神経系(CNS)からの異常細胞が静脈に出てきていたのだろうということになった。
2012/06/06
リハビリ、100点で卒業。頑張ったv
2012/06/22
髄注終了!
2012/06/27
放射線治療計画。7/3から放射線治療スタート。放射線は照射された部分が数日後に痒くなり皮がむけます。骨髄抑制を見越して9~10週の治療予定でしたが、骨髄抑制は治療休止するほどでもなく7週で終わりました。
2012/08/14
全治療を終えて退院。

2012/08/31現在、ケッコー元気です。耳鼻科、眼科、血液内科、いろいろ減らしてもらって薬はタシグナだけです。主治医は「再燃あると思う」と言っていますが、ashは無いと思いますv




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thame:医療・病気・治療 genre:心と身体
闘病歴 自主的退院後編 CML慢性骨髄性白血病BC急性転化期

白血病の病歴(自主的退院後)


慢性骨髄性白血病(Chronic myelogenous leukemia, CML)急性転化期(Blast Crisis, BC)。 とも言う。CMLの最後の病期(末期)。 ここまでくると予後が極めて悪いらしい。


それを、強力なレジメンの抗がん剤でねじ伏せてもらった。当初は造血幹細胞移植(骨髄移植など)へ進む予定でしたが、二回目の抗がん剤治療で、侵襲性肺アスペルギルス症を併発。骨髄移植は出来ない状態へ。



 はたしてashは、このまま逃げ切れるか?


2010/11/05 自主的退院する
その後はアスペルギルスの治療だけを続けていたが、症状は改善されず、アスペルギルスがあっては骨髄移植も無理。だだを捏ねて退院してきた!時々血痰や喀血はあるが、幸い白血病細胞は静かにしてくれている。 ・・・ さっそく病院では規制されていた生薬系サプリをのみはじめる。 ・・・ タバコと酒もガンガン。
2010/12/20
虎ノ門病院、都立駒込病院、2件のセカンドオピニオンを受ける。両方とも移植経験が豊富な病院。しかし、新たな情報は掴めず。
2011/02/22
自主的退院から約16週目。侵襲性肺アスペルギルス症はハッキリ縮小 CT画像とレントゲン写真。血算も血液像も良好。体調もグリベック服用時代よりはるかに良い。Amp-CMLの検査も5コピー未満を維持。急性転化から骨髄移植なしに1年生き延びたv。アスペルギルスの患部が骨髄移植へ進める状態ではないので、継続して様子見の状態。多少眠くなりやすいが、食欲も性欲も普通以上にある。
2011/03/30
2/22受けたAmp-CML数値が増えていたことが判明。再再再燃?予想の3ヶ月が6ヶ月になったのだから保ったほうだ。
2011/04/09
ashの点変異の特性をネットで検索。通常は急性期の薬ではないタシグナを出してもらう。同時にサプリを増強
2011/05/09
amp-cmlは13コピーに減少。
2011/06/08
05/24の検査結果 amp-cml、5コピー未満になる。再び寛解状態。4回目の分子遺伝学的寛解です。
2011/07/05
白血球数が17800。だが、他の数値を見た限りでは問題無さそう。
2011/08/02
アスペルギルス、胸部レントゲンでは患部が確認できなくなるくらい小さくなった。4週間前うけたamp-cml、5コピー未満を維持。
2011/10/12
5週間前に受けたamp-cmlも5コピー未満を維持。
2011/12/21
6週間前(11/8)に受けたamp-cmlが18コピーに増えてました。また、再燃か?でも、新サプリ飲始めてからトレーニングジムに通ったり、あちこち出張したり元気だ。アスペルギルスの経口薬ブイフェンド終了。
2012/01/17
血算値はオール基準値。4週間前に受けたamp-cmlは157コピーに増えてました。もう、タシグナは効いていないかもしれない。
2012/02/15
4週間前に受けたamp-cmlは186コピーでした。遺伝子検査Amp-CMLでは、異常細胞が増えているものの、通常の急性転化にしては、その増加はゆっくりだ。
2012/03/05
3週間前に受けたamp-cmlは626コピー以上でした。測定できる上限を振り切っています。ところが、Amp-CMLが上がっているわりに血算値はほぼ基準値。症状として、難聴、ふらつき、後頭部や頸部の凝りのようなもの、過眠、視覚異常といった症状が出る。血液脳関門 の内側に病変か?
2012/03/07
入院。
2012/03/14
タシグナは効いていないと言われ、ルンバールするのも危険(髄圧が高く脳ヘルニアになる可能性があった)。手の施しようがなかった。結局一週間個室で寝てただけだった。無治療を選択し退院してきた。もう、病院の治療はやめて静かにすごそう。
2012/03/17
「急性転化の通常治療は終了しますよ」ということを家族に説明してもらう。 ・・・ 万が一のため市内の病院へ紹介状を書いてもらう。最後は通常の医療機関に見取ってもらわないと面倒らしい。

この後は中枢神経系浸潤へ




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thame:医療・病気・治療 genre:心と身体
闘病歴 CML慢性骨髄性白血病BC急性転化期 入院編

白血病の病歴(急性転化後)


 慢性骨髄性白血病(Chronic myelogenous leukemia, CML)急性転化期(Blast Crisis, BC)。急性期(Blast Phase, BP) とも言う。CMLの最後の病期(末期)だ。


 2007年3月からはじまった慢性骨髄性白血病(CML)との戦い。約3年の慢性期を経て、2010年ついに最後の段階である急性転化期へと進みした。急性期は、リンパ性急性転化(LBC)と骨髄性急性転化(MBC)があるそうです。ashのはリンパ性急性転化です。急性期へ進むと急性白血病のような症状も出ます。


 CMLの急性転化期(BC)は、白血病の中でもけっこータチが悪いほう。抗ガン剤などでのコントロールが難しいうえ、骨髄移植をしても成功率が低いらしい。白血病細胞が他の部位に浸潤(しんじゅん)し普通の癌の転移のような状態を作ることもらしい。髄外造血(転移)。コレだ!という標準的な治療がさだまっていない手探りな治療が続く病期だ。極めて予後が悪く長期生存の望みは薄いと言われている。 ・・・ まだ生きているのが不思議なくらいなのかもしれない。


 もし、抗ガン剤を用いた化学療法(chemotherapy ケモセラピー)によって、寛解状態(骨髄内の異常細胞が5%未満)にもちこめれば、造血幹細胞移植も望める。ashの年齢や健康状態ならフルな骨髄移植を受けることになるだろう。


 しかし、骨髄移植は完治も望めるが、決してキレイなものではない。強力な治療方法だ。途中で命を落とす者も多い。抗ガン剤や造血幹細胞の入れ替えで免疫が低下する。風邪や肺炎でコロっとイクこともある。免疫系が再構築されるまでには数年かかるとも言われている。さらにGVHD(ドナーさんのリンパ球が全身の臓器を異物と認識して攻撃する)といった困難も待ち受けている。とくに非血縁者間での移植は副作用が長く続く場合があるらしい。。



 はたしてashは生還なるか?


 たぶん生還する。 そしてashは500歳まで生きるのだv


2009/09/12
Amp-CML 5コピー未満達成。と、検査結果が良かったので、完治したかもしれないと気が緩む。グリベックを3錠に減らしてもらう。しばらく検査結果の調子は良好だった。
2010/02/26
PLT(血小板)が下限値まで減少。WBC(白血球)も上限値イッパイまで増加。ついに爆弾が破裂したか?不吉な予感がする。
2010/03/08
2/26にしたAmp-CMLの結果、5コピーから600コピー台に増加。WBC14600、PLT6.8。移行期を通りこして「急性転化期」と言われる。グリベック6錠に増える。
2010/03/11
入院。マルクの結果、リンパ芽球性の急性転化と診断される。
2010/03/30
グリベック8錠に増量。化学療法(抗ガン剤)を拒否し、新しい分子標的薬スプリセル(ダサチニブ)での治療を選ぶ。
2010/04/04
スプリセル(ダサチニブ)開始。70mgを一日2回、合計140mg。グリベックより高い薬だ。
2010/04/08
スプリセル5日目。白血球は正常値圏内。グリベックより体感する副作用は少ない。しかも、効いている。
2010/04/15
スプリセル12日目。白血球1600まで下がる。ここを底に回復してくる。
2010/04/20
骨髄移植を拒否。スプリセルだけで生き延びる確率は5%と言われる。今思えばスプリセルが効いているときに移植の準備を進めておくのが最善だったのかもしれない。
2010/04/27
スプリセル24日目。白血球も3000いったし、血小板も正常値へ。翌日退院する。
2010/05
約1ヶ月間、スプリセルの副作用もなく、自宅で猫や自然と共に過ごす。短い第二慢性期だった。。
2010/06/10
白血球13500に増加。血小板も10.7に下がる。骨髄内に異常細胞が増えてきた証拠だ。
2010/06/17
たびたび38度前後の熱が出るようになっていた。結膜下出血も出た。白血球19300、血小板7.9、LDH1646。
2010/06/21
入院。いきなり加熱食。治療方針は骨髄移植を考慮した化学療法を選択。
2010/06/24
化学療法 抗がん剤はじまる。レジメン名は「FLAG+IDA」。イダマイシン、フルダラ、キロサイドなど連続5日長時間抗ガン剤投与する強力なレジメン。24時間点滴。飲み薬もてんこ盛り。血小板輸血で40.0の発熱も出る。敗血症。
2010/06/26
無菌室(クリーンルーム)へ。だんだん食欲が落ちたり、怠くなる。
2010/06/30
白血球100まで下がる。血小板も2日おきに輸血。白血球的免疫がほぼ無いため、面会は無理になってくる。
2010/07/05
白血球ゼロまで下がる。親族の面会も許可が厳しくなる。
2010/07/08
ヘモグロビン量が7.0g/dlを切ったので赤血球も輸血。
2010/07/17
白血球500まで回復。血小板値が回復したので血小板の輸血終了。
2010/07/23
白血球3800、ヘモグロビン8.5、血小板23.7まで回復。治療の中休み、六泊一時退院。7/29病院へ戻る。
2010/08/02
リザーバーを使ったCVカテーテルシステムを埋め込み手術。骨髄検査の結果、幸運にも一発で寛解に入ってた。
2010/08/16
寛解状態にありピンピンだったけども2度目の抗ガン剤投与はじまる。同じレジメン「FLAG+IDA」。最初は元気だったのだけど、2週間くらいして舌先にスゲー痛いでき物ができる。一週間後から3週間くらい白血球の値が0とか100でした。一回目より長い。
2010/08/30
敗血症で40度台の発熱 そしてやっかいな肺炎(侵襲性アスペルギルス症)発症。9月前半はマジ死ぬかと思いました。
2010/11/05
その後はアスペルギルスの治療だけを続けていたが、症状は改善されず、アスペルギルスがあっては骨髄移植も無理。だだを捏ねて退院してきた!時々血痰や喀血はあるが、幸い白血病細胞は静かにしてくれている。

この後は自主的退院後編



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闘病歴 CML慢性骨髄性白血病CP慢性期編

白血病の病歴(慢性期)


 ずっと書きたかった病歴のまとめ。体調イイうちにかいておこー!!


 2007年3月からはじまった白血病の経過です。血液のがんと言われる白血病には、急性、慢性、骨髄性、リンパ性、、いろいろな種類があり、治療方法なども違うのですけど、ashのは慢性骨髄性白血病(CML)です。今は、慢性骨髄性白血病のリンパ芽球性急性転化。


 前のブログCMLカテへ 、 今のブログCMLカテへ


2007年3月
寝汗が多く、体がすごく怠かった。目も見えずらくなっていった。糖尿病など、生活習慣病ではないのかと思っていた。
2007年3月26日
眼科を受診。結膜下出血と眼底出血があった。眼底出血した部分は今でも視力が欠けている。体調が悪すぎたので、採血して血液の検査をしてもらったところ、白血球やLDHの異常値発覚(白血球65,900/μl 、LDH574)。県外の血液内科のあるHS病院を紹介してもらう。
2007年3月28日
HS病院初診。症状からして慢性骨髄性白血病でしょうと言われる。数日後骨髄の検査(マルク)をする。
2007年04月13日
フィラデルフィア染色体が確認され「慢性骨髄性白血病(CML)」確定。慢性期と移行期の間くらいと診断。骨髄の中は98%が異常細胞になっていた。分子標的薬グリベック(イマチニブ)の服用が始まる。自己負担額が1錠1,000円くらいの薬だった。それを一日4錠。
2007年04月27日
グリベック2週間目で血球のデータは軒並み正常値まで回復するが、発疹&アレルギー反応がでる。2週間休薬する。後に自らの希望でさらに2週間休薬。
2007年05月25日
グリベック無しで、サプリだけで何とかなるかと思っての休薬追加でしたが、白血球数が再び増え始めていた。白血球22000
2007年09月07日
血液学的寛解。1ヶ月前にした細胞遺伝子学的検査では異常細胞が6%に。分子遺伝学的検査Amp-CMLでは888コピー。
2007年12月07日
Amp-CML103コピー。
2008年05月30日
1ヶ月前のマルクの結果 異常細胞が0%に。 2007年3月:98%>>2007年8月:6%>2008年4月:0%
2008年07月12日
分子遺伝学的寛解。Amp-CML 50コピー達成
2009年09月12日
Amp-CML 5コピー未満達成。もう完治したかと錯覚する。。

 ここまでは慢性期。グリベックという飲み薬で抑えられていた時期でした。病気からくるものなのか、副作用なのか、怠さ、浮腫、肌荒れ、吐き気、下痢 などに悩まされました。見た目は普通の人。血のデータは安定していましたが、横になることも多く仕事も家事も思うように出来ないのでした。


 そうそう出歩けないし、ブログネタも料理と猫になったのでした。


 グリベックで完治というデータは無い。いつまで飲み続けなければならないのか?収入は減り続ける。高額療養費制度などを活用しても、毎月の医療費の負担は大きくプレッシャーでした。


 この後ashの病は、CMLの末期というか、、最後の状態と言われている急性転化期へと進みます。



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